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うんちく・豆知識・雑学 「リンカーン」と「サクラ」と「花見」

      2016/02/13

  • リンカーンの演説はだれも聴いていなかった!

福沢諭吉が演説という言葉をつくる10年ほど前、アメリカでは
リンカーン大統領の「人民の、人民による、人民のための」
という有名な演説が行われています。

リンカーン

しかしこの演説、有名なわりにはライブでの聴衆の反応は
まるでぱっとしなかったといいます。

南北戦争の激戦地ゲティスバーグに戦没者を葬る国立墓地ができ、
その聖別式での演説でしたが、リンカーンの演説の前には
上院議員による二時間の大演説があったのです。

リンガーンはその後、わずか三分足らず低い声でつぶやく
ような声で演説しただけ。

聴衆の反応も芳しくなく、名演説として注目されたのは、
その後、しばらくたってからのことでした。

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  • サクラの花言葉が「独立」のワケ

初代のアメリカ大統領はジョージーワシントンですね。

彼が子どもの頃、父の大切にしていた「サクラ」を切ってしまい、
正直に告白したところ誉められたというエピソードは有名ですが、
これはつくり話たったともいわれています。

サクラ

でも、この話は、サクラの花言葉の由来にもなっています。
花言葉は「よい教育」や「独立」。

「よい教育」はもちろんワシントンの父の教育のこと、
そして「独立」はワシントンが独立革命軍総司令官たった
ことからきています。

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  • 「花見」はいつからはじまつたのか

花見
サクラといえば、日本にとってはなんといっても「花見」が
イベントの一つです。

もともとサクラの花を愛でていただけですが、今のように
大騒ぎする花見をはじめたのはあの豊臣秀吉なのです。

秀吉主催の「吉野の花見」や「醍醐寺の花見」では、戦国の下克上の
時代を生き抜いた武将たちが集まってにぎやかに楽しんだようです。

現在では厳しい就職活動を勝ち抜いた新人社員たちが、
花見の場所取りにかりだされていますね。

最初は権力者だけのものだった花見を庶民も楽しむようになったのは、
江戸時代になってから。

承応年間(二(五二~一六五五年)、上野の寛永寺で庶民の花見が
はじまりました。

しかし寺の境内なので夜桜は禁止、騒いではいけない
さびしいものでした。
こんな花見を変えたのが、享保の改革の暴れん坊将軍、徳川吉宗。

庶民をあわれに思って、飛鳥山、隅田川堤などにサクラの樹を植えて
花見の場所を提供しました。

一七三七(元文二)年には、自ら飛鳥山で宴を開いて花見を奨励。
以後、人々のあいだでも花見がさかんになったのです。

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