うんちく・豆知識・雑学 「福沢諭吉」と「演説」
2020/12/11
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一万円札の福沢諭吉は五六歳!
新札の発行もいよいよ間近。今回で、千円の夏目漱石、五千円の
新渡戸稲造が勇退するのに対して、一万円の「福沢諭吉」は続投です。
一九八四(昭和五九)年に前任の聖徳太子からバトンタッチ
して二〇年。
日本のお金の顔として、すっかり定着した証といえるでしょう。
その一万円札の諭吉の肖像、一体いつのものでしょう。
これは慶応義塾大学にあった肖像で、一八九一(明治二四)年、
諭吉五六歳のときのものだといわれています。
当時は子どもたちも次々に結婚した時期で、諭吉も
余裕たっぷりの表情。
日本最高額の紙幣にふさわしい面持ちといえそうです。
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「演説」という言葉をはじめて使ったのは諭吉
福沢諭吉はまた、「演説」という言葉をはじめて使った人
でもあります。
明治になって西洋の文化に触れた当時の知識人たちは、
厳しい身分制度で自由に発言できなかった江戸時代の日本と違って、
スピー・チやディベートで自分の考えを述/るシステムが
あることを知りました。
福沢諭吉もそんな一人です。
一八七四(明治七)年には慶応義塾学内で、スピーチの練習をしようと
いうことになりましたが、このとき「スピーチ」の訳語に困りました。
「談論」「講談」「弁説」などが出たものの、しっくりせずに
迷っていると、旧藩の中津藩で藩士が提出する書類が「演舌書」
と呼ばれていたことを思い出しました。
そこで友人と相談して、俗な「舌」を「説」に変え、「演説」
という訳語を当てたのです。
こうして演説は自由民権運動とともに普及していきました。
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